仏像

仏像紹介

法 然(ほうねん)
長承二年(1133年)四月七日~建暦二年(1212年)1月25日に浄土宗の開祖・祖師として、日本仏教に大きな転換をもたらした僧侶。「法然」は房号であって、諱は源空。法然房源空が正式な僧名、幼名は勢至丸。諡として円光・東漸・慧成・弘覺・慈教・明照・和順・法爾の八つの大師号を時の天皇より加諡されたのをはじめ慧光菩薩・華頂尊者・通明国師・黒谷上人・大谷上人・吉水上人・元祖大師とも呼ばれています。

法 然(ほうねん) 法 然(ほうねん)

善 導(ぜんどう)
大業九年(613年)~永隆二年(681年)光明大師。浄土五祖の第三。
中国唐代初期に活躍した阿弥陀仏信仰者で日本の法然および法然以後の浄土教に絶大な影響を与えた人物。法然は主著「選択集」において善導のことを阿弥陀仏の化身とまで評しています。
「観経疏」凡夫が輪廻から解脱する唯一の方法は阿弥陀仏の本願を信じ、阿弥陀仏の本願のままに称名念仏一行を実践することであり、それによって、いかなる罪を犯そうとも必ず阿弥陀仏が自ら来迎し、極楽世界へと往生することができると説かれています。

善 導(ぜんどう) 善 導(ぜんどう)

地蔵菩薩(じぞうぼさつ)
大地に匹敵する広大な功徳を胎とする菩薩。弥勒菩薩が出現するまでの無仏世におけるその代役。特に六道輪廻の中でも地獄に苦しむ者を抜苦与楽する代表的存在。大地に匹敵する広大な功徳を胎とする菩薩。弥勒菩薩が出現するまでの無仏世におけるその代役。特に六道輪廻の中でも地獄に苦しむ者を抜苦与楽する代表的存在でもあります。
教化の対象者に応じて無尽の変化を出すことでも知られ、起源についてはインド内起源説が有力とされています。
信仰は中国、日本において特に興隆され、信仰が日本に伝わり地獄への恐怖を解消するものとして広く民衆に浸透しました。六道を巡って衆生を救う姿から六地蔵信仰も活発となりました。
子供の供養・守護尊としても有名で、様々な名称をもった地蔵尊が各地に造られ、地域性の高い信仰を持っています。形像としては、剃頭し宝珠や錫杖を手にした比丘形が一般的で路地や辻、墓地の入り口にある地蔵尊の多くは立像です。すぐさま救済に駆け参じる姿を象徴したものとも考えられています。

地蔵菩薩(じぞうぼさつ) 地蔵菩薩(じぞうぼさつ)

阿弥陀仏(あみだぶつ)
西方極楽浄土を建て、そこに住する他方仏。西方極楽浄土の教主浄土教の教主。
浄土宗をはじめとする浄土教諸宗において本尊とされる仏。阿弥陀如来、無量光仏、無量壽仏、弥陀、弥陀如来、弥陀善逝と省略される他、極楽化主とも呼ばれています。さらに浄土真宗の九字名号、十字名号における不可思議光如来、尽十方無礙光如来という呼称もあります。
阿弥陀仏の姿は「観無量寿経」の真身観の一段で述べられており、夜摩天の閻浮檀金の色よりはるかに優れ、身高は六十万億那由他恒河沙由旬、眉間の白毫の渦は須弥山の五倍、眼は四大海の広さに匹敵し、体中の毛孔からは須弥山ほどの光明が発せられ、背後には無数の化仏・化菩薩を従えておられます。その光明は十方世界を遍く照らし出し、念仏する人を必ず救い取るとされています。その脇侍に関して複数説はあるが「浄土三部経」に基づくと観音・勢至の二菩薩が有力とされています。
浄土宗では四十八願を建てて修行を積み、その本願を成就して悟りを得た酬因感果の報身の仏で、今も極楽におられ衆生を救おうと常に光明を発しており、臨終には自ら来迎・引摂されると説かれています。

阿弥陀仏(あみだぶつ) 阿弥陀仏(あみだぶつ)
阿弥陀仏(あみだぶつ) 阿弥陀仏(あみだぶつ)

観音菩薩(かんのんぼさつ)
仏教における代表的な菩薩で、大悲の精神を象徴する菩薩。弥陀三尊として勢至菩薩とともに阿弥陀仏脇侍です。法華経第二十五章の「観世音菩薩普門品」は、通称「観音経」といわれ、観音菩薩を信仰することで得られる種々の功徳を説き示し、特に観音菩薩の名を称えることで、様々な利益を受けることが説かれています。
また、観音菩薩は救済すべき衆生の願いや能力に合わせて、種々の姿に変化して現れ、ある時には仏となり、ある時には子供となり、更には人間以外の生き物の姿をもって衆生救済を成し遂げる菩薩です。
観音菩薩には十一面観音、千手観音、馬頭観音等種々があり、浄土教における観音菩薩は阿弥陀仏の脇侍として重要であり、「観経」にはその相好が説かれています。

観音菩薩(かんのんぼさつ) 観音菩薩(かんのんぼさつ)

勢至菩薩(せいしぼさつ)
阿弥陀仏の智慧をつかさどる右脇侍の菩薩。阿弥陀三尊のひとつ。観音菩薩が阿弥陀仏の慈悲をつかさどるのに対し、「平等覚経「大阿弥陀経」によれば観音菩薩と共に阿弥陀仏と対座して八方上下、過去未来現在のことを議すといわれています。また「無量寿経」によれば、観音菩薩と共に娑婆世界で命終した後、極楽世界に転化したともいわれています。
その名前の由来は、「観経」によれば「智慧の光をもって普く一切を照らす 三途を離れしむるに無上力を得たり、この故にこの菩薩を号して大勢至となずく」と説かれています。

勢至菩薩(せいしぼさつ) 勢至菩薩(せいしぼさつ)

十 王(じゅうおう)
「預修十王生七経」などに説かれる十人の裁判官のこと。秦広王・初江王・宋帝王・五官王・閻魔王・変成王・泰山王・平等王・都市王・五道転輪王の十人。
人が亡くなった後、七日ごとの、あるいは百日目、一年目、二年目にそれぞれ王によって裁かれ、なかでも三五日目の閻魔王の裁判は有名です。いわゆる中陰の追善供養などは、これらの裁判で少しでも罪が軽くなるように行われており、中陰(中有)の思想はインドにもあるが十王による裁判については中国で考えられたものです。十王中、インド撰述の経典に出てくるのは閻魔王と転輪王だけで他のものは中国の道教などの影響を受けて生み出されたものと考えられています。閻魔王については「長阿含経」地獄品に亡者(罪人)の裁判を行うことが説かれています。
それぞれの王は本来、如来や菩薩が裁判の為、王という仮の姿に身を変えているとされ、
○初七日(七日目)  =秦広王(不動明王)
○二七日(十四日目) =初江王(釈迦如来)
○三七日(二十一日目)=宋帝王(文殊菩薩)
○四七日(二十八日目)=五官王(普賢菩薩)
○五七日(三十五日目)=閻魔王(地蔵菩薩)
○六七日(四十二日目)=変成王(弥勒菩薩)
○七七日(四十九日目)=泰山王(薬師如来)
○百ケ日(百日目)  =平等王(観世音菩薩)
○一周忌(一年目)  =都市王(勢至菩薩)
○三回忌(二年目)  =五道転輪王(阿弥陀如来)とされています。

十 王(じゅうおう) 十 王(じゅうおう)
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